下田市
最近の記事
「下田に行く時はPCを持っていき仕事もします。これが結構、効率がいいんですね。」2拠点移住の物件も検討中のハムさん、レイナさんに下田の魅力を聞きました!
13年前に友人のお子さんの夏休みの思い出作りに協力したのがキッカケで下田に来て以来、年間を通じて下田に通うようになった吉野ハムザ芳明さんと礼奈さんご夫婦。(以下、愛称のハムさん、レイナさんと表記させていただきます。) お二人ともサーフィンをされるそうですが、下田に来られる時は、PCも持参で仕事もこなすとこと。 まさに「ワーケーション」な過ごし方をされています。 そんなお二人に下田の魅力についてインタビューさせていただきました。 是非、ご覧ください!(今回は、英語圏の方にも是非
ひとは、自分の好きなことだけに夢中になっていいはず! 40歳デビュー男が下田の巨大倉庫で挑戦する「やさしい社会」づくりとは? local is beat 代表 梅田直樹さん
——梅田さんは、下田で板金塗装業を営む家に生まれ、40歳すぎまで自営業をされていました。その後、家業をたたんで、まったく異業種のアウトドアベンチャー会社に転職されるわけですが、ずいぶん思い切った決断だったのではないでしょうか。家業を続けずに、なぜゼロからのスタートを選ばれたのですか? 高校1年で中退して、父親が営む梅田板金塗装工業で働き始めました。19歳のとき、親とうまくいかなくて一度飛び出してしまったんですが、父が脳梗塞で倒れて半身不随に。病気の親を放っておけなくて、戻っ
奇跡的にきれいな海に囲まれた下田…そんな下田の良さを知ってほしい!と民泊事業をスタート!!したアレックスさんご夫婦に聞く、下田での暮らしと事業について
ロシア出身のアレックスさん、美しい海を探して行きついた下田。 今ではそんな下田の良さを知ってほしいと宿泊施設をはじめました。 そうして、ゲストを受け入れる側となったアレックスさんご夫妻を紹介します。(今回は、英訳も掲載します。英語の方が読みやすいという方も是非、ご覧ください!) ロシア出身で人材紹介会社のエグゼクティブシニアディレクターのレイコ・アレックスさんは、1996年に来日。 下田との始まりは、綺麗な海を探してまずは下田の白浜に来たのがきっかけでした。 "Intro
市民の健康は地域全体で考えるべきミッション。ヘルスケア事業で健康寿命の延伸に取り組む「ケアショップふじた」代表、藤田庸さん
介護人口の増加を見越し、ケア事業を立ち上げる ——朝の陽射しが差し込んで、とても気持ちのいい空間ですね。みなさん朝から運動をされて汗を流されていて、こちらまで爽やかな気分になります。藤田さんがフィットネス事業を始めたのは、10年ほど前と伺っています。創業はケア事業からのスタートだったと。なぜ下田でケア事業を?この仕事を選ばれた経緯を教えていただけますか。 下田で生まれ育ち、高校を卒業後、東京の語学系の専門学校に進学しました。その後、東京ガス系列の会社で工事の図面を引くような
下田のクリーニング業者が三島にベーカリーを出店…!?コロナ禍で大打撃を受けた本業、スタッフの雇用確保のための決断とは?中田クリーニング代表 中田衛さん
—— 今日はよろしくお願いいたします。 …こちらにお邪魔するのははじめてなのですが、すごく素敵ですね。 店につながる通り(通称 日大通り)のイチョウ並木の雰囲気も良く、この素晴らしいロケーションも相まって、お店に入る時にワクワクしてしまいました。 こちらに訪れた方は、このお店が下田のクリーニング業者さんがやられてるとは思われないでしょうね。 では、本業のクリーニング業の話や、なぜクリーニング業から下田を離れて三島でのベーカリー出店に至ったのか? そのあたりの話を中心にお聞か
移住を機に下田の海人たちを撮り続け7年。フォトグラファーの感性を刺激する下田の魅力とは?<前半>フリーカメラマン津留崎徹花さん
■「自分たちの手で暮らしをつくっていきたい」 ——カメラマンとして東京で活躍されていた徹花さんが、地方移住を目指したのはなぜですか? 2017年の4月、夫と娘の3人で下田に移住しました。夫も私も出身は東京。結婚してからも都内の会社に勤めながら東京に住んでいました。ありがたいことにカメラマンとして充実した日々を送っていたのですが、娘を出産して、仕事と子育ての両立がなかなか難しくなってきて。あるとき立ち止まってしまった。当時の私は、時間に追われ、いつもイライラしていたよう
『まちの明かりを灯し続けたい。』ライター×酒場×書店?下田×大磯…?Table TOMATO 山田真由美さんにその想いを聞く。
下田のまちなかの商店街には、残念ながらシャッターが下りている店が多くあります。 多くの場合、『後継者』がいないことがその原因のようです。 そうしてシャッターを下ろしてしまう店が多い中、今回は、珍しいカタチで店を引き継ぎ、まちに明かりを灯し続けている方を紹介します。 何が珍しいのか?というと、お義父さんが長年経営されていたブティック『TOMATO CLOSET』を、2017年に娘の山田真由美さんが酒場『Table TOMATO』とセレクト書店『Books半島』へと、業態を変えて
『子供の頃の楽しかった夏の記憶を胸に、親になってまた訪れる。家族の思い出に寄り添う下田に』"With childhood memories of joyful summers in our hearts, we revisit them as parents once again – Shimoda city, where we embrace family memories."
『開国のまち』と言うだけあって国際色豊かな下田市には、もともと首都圏在住の海外の方が多く訪れていました。 そんな中、コロナ禍をキッカケとして、多くの海外の方が移住先として、または多拠点居住の地として下田を選んでいただくようなっています。 今回は、東京と下田の2地域で暮らす、アメリカ出身の「Wファミリー」さんにインタビューし、下田滞在中の過ごし方やその魅力を語っていただきました。 お父さんがサーフィン、ビーチで遊ぶ子供たちとお母さん、その幸せな光景が日常にあるWファミリー。 下