下田の魅力は「人」。異色のキャリアを活かし、最高の仲間たちと地方創生DXに取り組むプロジェクトマネージャー
宿泊施設DX 集客プランナー/地方観光DXディレクター
Squad合同会社 プロジェクトマネージャー/DJ
宮崎豊さん
プロ集団の一員として集客支援に携わる
———まず、宮崎さんの現在のお仕事について教えてください。
主に企業や施設の集客支援、新規事業の立ち上げなどをサポートしています。特に、予約数を増やす方法を提案したり、マーケティングを支援したりすることが多いですね。個人としての集客支援事業に加えて、最近は「Squad(スカッド)」という会社のメンバーとして、プロジェクトマネージャー的な役割も増えてきました。
———クライアントは伊豆・下田エリアが中心ですか?
いいえ、北海道から九州まで、関わらせてもらっているクライアントは全国にあります。紹介だったり、人のつながりで入る案件がほとんどですね。
———先ほど名前の挙がった「Squad」とは、どんなチームですか?
下田市に拠点を構え、「やさしい社会をつくる」をミッションにさまざまなプロジェクトを手がける集団です。チームにはいろんな分野のプロフェッショナルが集まっています。例えばマーケティングの専門家やデザイナー、エンジニアなど、多岐にわたるスキルを持った人たちがいます。私は主に、全体の進行管理やプロジェクトの調整役として動いています。
———スタートアップの支援もされているとか。
そうですね。たとえば、新しいドリンクのジャンルを作りたいという企業をサポートしたり、地方自治体の観光事業をお手伝いしたりしています。他にも、国の事業に乗ったスタートアップ一般社団法人の事務局を支援することもありますね。
ホテル経営での苦労と学び
———幅広い業務をされているんですね。では少し過去を振り返っていただいて、宮崎さんのこれまでのキャリアを教えてください。
20歳ごろから16年ほどアパレル業界にいました。私は高知出身で、地元のショップに勤務したのが最初です。その後、東京のアパレルメーカーでさまざまな職務に携わった経験を経て、高知に戻って自分でショップを開きました。ジャンルはストリート系が中心でした。
アパレルの次にホテル業界に入りました。自分のショップを持ってからしばらく経った頃、高知の足摺岬にあるクローズしてしまった宿泊施設を再オープンさせる、というプロジェクトの話が高校の同級生から来まして、その誘いに乗ったのが経緯です。まぁ、あまり深く考えずに飛び込んでみた感じですね(笑)
———フットワークが軽いですね! なるほど、そこから現在の宿泊施設などの集客支援につながっていくわけですね。当時の経験は今のお仕事にどう活かされていますか?
普通は宿泊業界に入ると、まずはフロント業務などから始めて、少しずつ経験を積んでいくものだと思いますが、私はいきなり支配人としてホテル経営に携わったんです。全くの素人からのスタートでした。その分、失敗も多かったですね。初めの5年間は赤字続きで、本当に厳しい状況でした。でも、6年目にようやく黒字に転じたんです。その過程で、「集客」の重要性を痛感しました。
———黒字転換するまでの道のりはどんなものでしたか?
最初はセオリー通りに経費削減を進めたり、施設の改善に取り組んだりしました。ただ、それだけでは追いつかない部分が多かったんです。そこで注力したのが、オンラインでの予約をいかに増やすかという点です。当時はまだインターネットを活用した集客が一般的ではなく、他の施設がやっていないことに挑戦した結果、予約数が着実に伸びていきました。課題に対して、“やるべきこと”をしっかりやれば、売上はアップするということを身をもって体感しました。
———それから独立して現在に至るわけですね。集客支援が今のお仕事の軸になっているのも、その経験から来ているんですね。
ホテル業界は拘束時間が長く、当時は子どもが3歳くらいの頃で、家族との時間をもっと取りたいと思っていました。そこで「パソコンひとつでできる仕事をしよう」と思い立ったのがきっかけです。「食べ物もおいしく、適度にコンパクトな都会の福岡がいいんじゃないか」と勢いで福岡県に引っ越しして事業を始めました。
自分でアパレルのショップをやっていたり、一からホテルの経営に携わったりといった経験から、どの施設様を見ても「これは厳しそうだな」とか「こうすると伸びそうだな」というのが大体わかるんです。自分の失敗や試行錯誤が、今の仕事の糧になっています。
特に地方の店舗や宿泊施設では、現場のスタッフが多忙でマーケティングにまで手が回らないことがほとんどです。そんな施設のためにアウトソーシングの仕組みを整えることで、結果を出すお手伝いをするケースが多いですね。
福岡と下田の二拠点生活を経て、下田に移住
———下田市にはどのようなきっかけで来られたのですか?
知人を通じたご縁があって、現在の「Squad」の一員に加わったのですが、メンバーたちとさまざまなプロジェクトに携わっていくなかで、すごく気が合うなと。仕事でもそれ以外でも、何となく下田に来る機会が増えていった感じですね。
———そこから福岡と下田の二拠点生活が始まったんですね。
福岡では家族と過ごす時間がメインでした。子どもが小さいので、家族との時間を優先していました。一方で、下田に来るとプロジェクトの拠点である倉庫兼オフィスの「WITH A TREE」で過ごすことが多かったですね。ここでは、みんな自由に好きなことをやっています。
———具体的にはどんなことをされていたんですか?
ある人はアート作品を作っていたり、ステンドグラスを制作していたり。私は最近、「DJ PLEASURE」という名義でDJ活動を再開しました。下田に来て「やりたいことをやる人たち」に触発されて、また挑戦しようと思えたんです。
———下田での生活が、宮崎さんの挑戦心を刺激したんですね。
そうですね。この倉庫のように自由でクリエイティブな空間が、私にとっての活力になっています。
———現在は下田市に移住されたとお聞きしました。
2024年12月に下田市に引っ越しました。店舗と住居が一体になった面白い物件を縁あって借りることができました。もともとは中華料理店だったそうです。そのまま使える部分を活用しつつ、自分でできる部分はDIYで手直ししていこうと思っています。
下田に移住した今、仕事は家でもできてしまうのですが、なぜかほぼ毎日、朝9時前にはしっかり「WITH A TREE」に“出勤”してしまいます。たぶん居心地がとても良かったんでしょう(笑)。
———確かに「WITH A TREE」は人を惹きつける何かがある気がします。ちなみに下田ではどのようなプロジェクトに携わってきましたか?
最近では「TADAIMA SHIMODA」というプロジェクトに参加しています。国内外からデジタルノマドを招いて、地域とつながるイベントを実施する取り組みです。私はその全体の進行管理や、企画を具体化する部分を担当しました。
———参加者はどのような反応でしたか?
20カ国以上から人が集まり、中には「下田に住みたい」と言ってくれる方もいました。地元の方々の協力もあり、プロジェクトとしては大成功だったと思います。特に、地元の核となる人たちが「次はもっとこうしてみよう」という意識を持ってくださったのが印象的でした。
人とのつながりが生む価値
———地方でのプロジェクトでは、人とのつながりが大切になると思いますが、下田で感じたことはありますか?
下田に来て実感したのは「人の良さ」ですね。都会ではあまり感じられない、人との距離の近さや助け合いの精神がとても新鮮でした。下田で活動している間に知り合った人たちは、私にとって大きな財産になっています。
———そうした人とのつながりが、プロジェクトの成功につながっているんですね。
はい。プロジェクトを通じて地元の方々と良い関係を築けたことが一番の成果だと思います。
———今後は、どのようなことに挑戦していきたいですか?
私が今最も楽しみにしているのは、下田にいる仲間たちと新しい何かを作り上げることです。「何をやるか」も大事ですが、私にとって「誰とやるか」はそれ以上に大事です。「TADAIMA SHIMODA」のようなプロジェクトが、地域にどんな広がりをもたらすのかが楽しみですね。それと同時に、これまで培ったスキルや経験を活かして、地方と都市をつなぐ活動を続けていきたいと思っています。
———最後に、下田の魅力について一言お願いします。
下田の魅力は、やっぱり「人」ですね。もちろん自然も素晴らしいんですが、最終的にはそこで出会う人たちが、その土地での生活を彩ってくれるんだと実感しました。地方への移住や二拠点生活を考えている方には、ぜひそういった「人とのつながり」を大切にしてほしいです。