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「旅の締めくくりの思い出に美しいリボンをかける。それが下田の玄関口-FRONT-である僕らの役目」

下田時計台フロント代表 長池茂さん

「旅のはじまりに、終わりに、くつろぎにいらしてください」と長池さん


個人的な話になりますが、子どもの頃から通学も通勤も帰省も伊豆急線のお世話になっていた私にとって、駅前の「下田時計台フロント(以下、フロント)」はお守りのような存在でした。いつ訪れても変わらずにそこにあり、見上げれば時計台の時計が規則正しく時を刻んでいる。年々シャッターばかりが目につくようになってしまった下田で、現役で、いきいきと商売を続けている様子が頼もしく感じられたのです。
加えて、品揃えの充実ぶり、行き届いた接客に感心します。物販のコーナーは、整然としていて見やすく、オリジナルの「IPPIN」ブランドなど厳選された地場産品がセンスよく並んでいて、まるでセレクトショップのよう。どのスタッフもいつも明るく、そして気が利く。

駅前は、まちの玄関口です。旅人が最初に触れる、そのまちの「顔」。
だから、多くの人が訪れる駅前のお店の存在はとても大事なのです。

「フロント」の人たちは、自分たちの役割を自覚しているように見えます。
下田を訪れる人たちに、いい思い出をもって帰ってもらいたい。
そんな意識が、店の雰囲気から、スタッフの笑顔から伝わってきます。

「私たちの役割は、下田を旅する人たちの思い出をリボンで結ぶようなもの」
そう語るのは「フロント」代表の長池茂さんです。
下田で生まれ育ち、祖父が中心になって創業したこのお店を受け継ぎ、まちの玄関口として、自分たちが成すべき仕事とは? 下田のために、働く従業員のために、そして自分にとって大切なことは何かを見つめ続けています。

すっかり下田の“顔”のひとつとなった「フロント」。ここに至るまでは紆余曲折、さまざまな試行錯誤がありました。

下田駅前に建つなまこ壁と時計台が印象的な「フロント」


みやげもの屋が考える「リボンの役割」とは?


——たしか、下田に伊豆急が開通したのと同じ年の創業でしたよね。1961(昭和36)年。長池さんはまだ生まれていなかったわけですが、その当時のこと、わかる範囲で教えてもらえますか?

下田にとって鉄道の開通は明治以来からの悲願だったらしいのですが、いよいよ実現するとなったとき、駅前にみやげもの屋のひとつくらい必要だろうと、僕の母方の祖父を含めた3人で創業したそうです。

もともとの店名は漢字で「普論洞(ふろんと)」だったんですが、2012年に自分が代表を務めることになり、「フロント」とカタカナ表記にしました。読みやすさもありますが、「下田の玄関口」とか「入口」という意味を打ち出したかったというのがいちばんの理由です。

でも、なぜ祖父たちは「普論洞」という名前にしたんだろう。気になって調べてみたら「みんなが他愛もない話をほこらのなかで話し合う」という意味があったんです。そうか、いろんな人が集まって語り合える場所をつくりたかったんだなと。
2階には50人は収容できるお座敷のほか、キッチンや宿泊できるスペースもあって、いまでいう複合施設のよう。それは、地域のコミュニティを目指していたからだったんです。きっと、念願だった電車が下田まで走るようになって、下田の発展のために!と、志高くスタートしたんじゃないかな。それを知ってから、よりいっそう自分たちの役割とともに、2階の有効活用を考えるようになりました。

毎年大盛況の「手づくり市」。フロントの2階で開催される


こちらも2階で開かれたライブの模様


——「フロント」の役割とは? どのようにお考えでしょう?

勝手ながら、下田の“玄関口”としての使命があると考えています。
僕らの仕事は、旅のメインではありません。下田に来たときと帰るとき、どちらかに寄る場所。メインは、もちろん下田で過ごした時間です。海へ行ったり、温泉に入ったり、おいしいものを食べたり。その旅の思い出をぎゅっと箱に詰めて、最後にキレイなリボンで梱包するのがみやげもの屋の役割だと思っています。

旅の間いろいろあったとしても、最後に、うちででおみやげを買ったり、お茶を飲んだりして、気持ちのいい締めくくりとなったら、また下田に来ようと思ってくれるかもしれない。そういう意味で、僕らの役目は“リボン”なんです。ただ品物を提供するだけのみやげもの屋ではなく、旅の最後の思い出を提供できる場でありたい。これは、すべての従業員と共有したい意識です。

おみやげものコーナーの入口

お客、業者、従業員。「三方よし」の実現に向けて


——素晴らしい志ですね。従業員のみなさんも同じ気持ちで働いているであろうことが、温かな接客から伝わってきます。いろいろなスタッフがいるなかで、トップの意識を全員が共有できるというのはなかなかできないことだと思うのですが、何か心がけていることはありますか?

全員が同じ方向を向いているのが理想ですが、まだまだ模索中です。
試みのひとつとして、これまでやったことのなかった社員研修を、近々行う予定です。組織育成を専門とする方にアドバイザーとして入っていただき、自分たちの役割や使命、それに対してどれだけ実践できているかなど、それぞれが見つめ直す機会にしたいと思っています。

従業員のみんなにはいつも感謝しています。めちゃくちゃお客さま思いだし、玄関口としての意識も高い。お客さま一人一人に対して、とても丁寧に応対できる。それはとても素晴らしいことなんですが、それゆえの課題もあって……。

丁寧ということは、時間がかかるということにもなって、稼働が低くなってしまいがちなんです。いまはどこも人手不足だといわれますが、うちもそうです。少ない人数でお店を運営していかなくちゃいけない。一方で、従業員の給料も上げていきたい。そのためにはどうするか。従業員一人あたりの稼働売上げを上げていくしかない。どこかに無駄はないか。お客さまのためにこだわることは大事だけれど、それが本当にお客さまのためになっているか、見つめ直す必要があります。
たとえば、丁寧に時間をかけて調理したものがどんなにおいしくても、提供までに1時間かかったとしたらどうか。うちの立地とこの空間で、1時間待たされても満足していただける店なのかどうか。あるいは、ある定食に小鉢がたくさんついていたとします。いろいろなものが食べられてお客さまは嬉しいかもしれないけれど、お皿を洗うことを考えたら、できるだけ少ない皿数にできないか考えるべき。味を落とすことなく、見映えもさせながら、工夫次第で皿1枚にまとめられるんじゃないか、とか。

そんなふうにして、細かいところから一つひとつ見直すことで、稼働や生産性は上げていけるはずなんです。従業員みんなが個々に自分の仕事に無駄がないか見つめ直す。それがいま一番大事なことだと思ってます。そのための研修です。

笑顔をモットーに、お客さまとのふれあいを大事にするのがフロント精神


——従業員さんたちが自発的に課題を考え、よくするためにはどうしたらいいかを模索する。会社のことを自分事として考えられるようになったら、きっと変わりますね。

どんな事業も「三方よし」でないと続かないと思っています。うちの従業員さんはみんなお客さま思いで、自分たちが大変でもお客さまのためになるならと頑張れる人たち。でも、それだけじゃあダメなんです。「三方よし」でないと、会社も従業員も潰れてしまいます。

だから僕は、もっと自分たちがよくなるためにはどうすべきかを考えてほしいと言っています。お客さまも自分たちもよくなるために、稼働率を上げて、売上げを伸ばす。利益が出たら、みんなに分配できるし、仕入れ業者さんにも還元できる。建物や設備などに投資ができて、お客さまのためにもなる。こういう好循環をつくっていくための稼働率だと話すんです。みんながそのことを理解し、それぞれの持ち場で改善していったら、「三方よし」はきっと実現できる。そう信じています。

地場の逸品を「高く仕入れて高く売る」


——仕入れ業者に対して「三方よし」であるために取り組んでいることがあれば教えてください。

仕入れ先と売り手って、どうしても上下関係になりがちなんですが、本来は対等な関係。お互いのことをよく理解して、何かあったときに助け合える関係を築いていきたいですね。

心がけているのは、高く仕入れて高く売る努力です。生産者の方がどんな思いで頑張って商品をつくられているのか。その努力にちゃんと報いることができるよう、売る側は高く売る方法を考えなければいけない。ただ高いのではなく、価値のあるものとしてお客さまが納得のいく価格。その値段で購入したことをお客さまが満足できる状況をつくるのが、僕ら販売店、飲食店の役目だと思うんです。

――高く仕入れて高く売る。簡単なことではなさそうですが、具体的にどうやって?

大前提として、商品自体のクオリティが高くなければ高くは売れません。当たり前のことですが。
たとえば、当店でも人気の地場産品のひとつに下田の高橋養蜂のハチミツがあります。これは、高橋鉄兵くんという若い養蜂家がほぼひとりでミツバチの世話をし、つくっているハチミツなんですが、最初、地元の直売所で見つけたときに、片隅にただ置かれている感じだった。試しに買って食べてみたら、とんでもなくおいしい。こんなにおいしいハチミツが、ただ置かれているんじゃもったいない!と、すぐ高橋くんに会いに行ったんですね。面識はなかったけど、直接会って、素晴らしいハチミツだからうちに置かせてほしい、一緒にやりませんか、と。
そのときに彼から、「自分はこの土地でミツバチの楽園をつくりたい。ミツバチで世界を救いたいんです」という夢を聞いて、心底感動しました。同時に、これはただきれいに並べて販売するんじゃだめだと思った。ちゃんとその壮大な目標を知ってもらうために、紹介文を書いたり、養蜂場の様子がわかるビジュアルも添えて、ストーリーとともに伝えなければ、と。それで、店内のいちばん奥の広いスペースを使って、写真と紹介文パネルを掲示して「高橋養蜂」コーナーをつくった。光の当て方を変えるだけで、同じ商品が見違えるほど輝くんです。それで実際、高橋養蜂のハチミツはよく売れました。注目度もぐんと上がって、広く彼の想いとハチミツを紹介することができたと思っています。

この経験から、商品の見せ方、伝え方をしっかり考えるようになりました。

高橋養蜂をクローズアップした特設コーナー

——なるほど。そういう経緯があったんですね。たまにお店を見てまわったりするんですが、どこをとってもただ並べているのではなく、ちゃんと意識が行き届いているというのでしょうか。商品一つひとつの魅力が伝わってきて、モノが輝いて見える。まるでセレクトショップにいるような気分になります。店内に流れるBGMもジャズだったりボサノバだったりで心地よい。

ありがとうございます。店内のディスプレイもBGMも、自分にはまったくセンスがないと自覚していたので、自分が店の経営に携わることになったとき、いろんなお店に行って勉強したんです。参考にしたのは、「UNITED ARROWS」とか「BEAMS」のアパレルショップ、それに、「無印良品」や「Francfranc」なんかも何度も行きましたね。自分がいいなと思う店には共通項があって、どの店もお客さんたちが楽しそうに買い物してるんですね。うちもそういう店にしたいと思った。みやげもの屋の枠を越えて、お客さまが楽しめたり心地よく過ごせる空間づくり。BGMが大事というのもそこで学んだことで、下田に以前あったTSUTAYAに行って、気になるCDを片っ端から聴いて、お客様が笑顔で店内を買い物している姿を思い浮かべながら、約40曲のプレイリストをつくりました。

——ものすごく情熱を傾けて店づくり、お客さま、従業員、取引業者のために汗を流されている長池さんですが、もともとは「フロント」の経営を継ぐ気はなかったそう。どういういきさつがあったのでしょう?

下田を出て、30歳まで東京の自動車教習所で指導員をしていたんですね。その頃は下田に戻る気なんかさらさらなかったんですが、ギラン・バレー症候群という難病になってしまった。筋肉の病気で、全身が動かなくなってしまったんです。それで教習所を辞めて、やむなく下田に……。
それまで会社のことはノータッチだったし、どんな状態かも知らなかったんですね。でも、帰ってきて衝撃だった。会社が潰れそうだったんです。商品はホコリだらけだし、従業員は裏で本を読んだり、煙草を吸ったりしてサボっている。お客さまがいらしても、「いらっしゃいませ」のひと言もない。もうひどいありさま。それから試行錯誤の日々が始まりました。店内のレイアウトを変えてみたり、お客さんがいないので自分がサクラになって店を出たり入ったりを繰り返したり(笑)。業者さんを訪ねて行って、御社の商品を絶対売るので委託させてほしいと直談判したり。思いつくことは全部やるぐらい必死でやって、年間500万の赤字を、200万の黒字が出るまでなんとか改善できました。

——すごい。

いや、僕は最低の人間だったんです。店をやるって言ってトライしたけど、何千万という借金があることを知って、怖くなって逃げてしまったこともある。応援してくれた人たちをみんな裏切って。

病気で体が思うように動かせないとき、友人たちは交代で風呂に入れにきてくれたり、うつっぽくなってしまったときは、毎日同級生たちが呑みに誘ってくれて、自分、お酒飲めないのに(笑)、ひとりにしないようにしてくれた。そんな仲間たちのことも、最初からずっと経営のことを相談にのってもらっていた先輩のことも……。

だからもう一度40歳のときに会社を建て直すと覚悟を決めたときは、もう絶対に誰も裏切らないと誓ったんです。これからは人に信頼してもらえる人間になりたいと。

でも、そう簡単に性根は変わりません。何もしないでいるとすぐにダメな自分が出てきてしまう。本を読むようになったのはそれからです。自分を正すために毎朝15分、おもに経営書や自己啓発本を読んでいます。もう15年になるかな。自分のためと思うと続きませんが、従業員のため、友人や支えてくれる人たちに恥じないようにと思えば、不思議と続けられるものです。読んだ感想や、経営に活かせるヒントなんかをノートにつけているんですが、それも15冊ぐらいになってます。読むだけでなく、自分の考えを書き出すと、より身につく気がして。おすすめですよ、読書ノート。

リーダーとしてどうあるべきか学び、自分を律するために15年前にはじめた朝の読書習慣。読書ノートの束とともに

贈るのもご褒美もちょっと贅沢


——やっぱり、すごいです(笑)。その後、経営は順調に?

とにかく莫大な借金を返済しなければならなかったので、利益を出せて、お客さまにも満足してもらうにはどうしたらいいかと考え、オリジナル商品をつくるのはどうかと。それで生まれたのが「黒まんじゅう」です。黒船にちなんで、竹炭を生地に練り込んだ真っ黒なおまんじゅう。製造は大きな業者さんに依頼してつくってもらっているのですが、1万箱売ったらうちのオリジナルにさせてほしいとお願いして、黒まんじゅう一本に絞って、店頭の目立つところに大々的に展開して販売しました。1年で1万個売ることができて、「フロント」オリジナルの商品第1号ができた。これはずっと定番で人気の商品です。

大人気商品、黒まんじゅう。パッケージもお洒落です

その後も、お茶農家さんとコラボして「究極の紅茶」というオリジナル紅茶をつくったり、高橋養蜂の高橋くんに会いに行ったり、西伊豆の伝統食「潮かつお」を作っているカネサ鰹節商店の芹沢安久さんを訪ね、その伝統製法を守り抜く姿勢に感動して取り扱わせてもらうようになったり。伊豆の風土を生かしたものづくりをしている生産者の人たちのもとを訪れるうちに、自分がやりたいことは、地域に眠っている素晴らしいものを紹介したいとか、ちょっと贅沢なものを持ち帰ってもらいたいとか、ただモノを売るみやげもの屋ではないんだと思うようになってきました。

下田の洋菓子店「ケークス・カノン」とのコラボで生まれたオリジナル商品「下田ミルクもち」。開国の歴史にちなんだ和洋折衷のお菓子は、テレビで紹介されたこともあり大ヒット商品に。いまや、新しい下田みやげの定番となりつつあります。


あるとき知り合ったデザイナーさんにそんな話をしたら、今後、会社をそういう方向にもっていきたいと考えているんだったら、ロゴとかパッケージデザインにもこだわってみたらどうかと提案いただいたんです。ちょうど、これからの「フロント」の店づくりのコンセプトとかを見直しているところだったので、いい機会だと思いお願いすることにしました。2週間にわたってヒアリングをしてもらい、完成したのがいまの「フロント」のロゴと、「IPPIN」ブランドです。

「IPPIN」は、伊豆の逸品を厳選したコーナーで、キャッチフレーズの「贈るのもご褒美もちょっと贅沢」は、デザイナーさんが考えてくれました。

開国の歴史とモダンなデザインが目を引くパッケージ。中央の丸いマークが「IPPIN」のブランドロゴ


——「IPPIN」のデザインは、清新で上質なたたずまいが美しく、「ご褒美」とか「贅沢」という表現がぴったり。商品の魅力を伝えるのに、ロゴやデザイン、そして言葉がもたらす力って大きいですよね。「フロント」の店舗デザイン、パッケージや展示の仕方なんかを見ていると、ただの土産物屋でない雰囲気がしっかり伝わってきます。素敵なお店が、下田の玄関口にあってほんとよかった(笑)。

ありがとうございます。まだまだ道半ばで、先ほどお話ししたような課題もあるのですが、これからの「フロント」を考えたときに、挑戦してみたいことがあります。自分たちは旅の始まりと締めくくりを担ってきたわけですが、旅のメインとなる部分に携わることはできないだろうかと。「front」には、「〜の前」とか「入口」という意味がある。ならば、たとえば海の“前”とか、川の“前”とか、どこかの「front」を使って、お客さまに楽しんでもらう場づくりをしてみたいと。伊豆半島の入口ととらえたら、熱海とか、下田ではない場所での可能性もある。宿泊施設なのか、アクティビティなのか……。そんな未来を少しずつ描いています。

もちろん、「三方よし」のしくみをつくることが先決ですけどね。

高橋養蜂の高橋さん(右)と、長池さん。これからも地元のピカイチな生産者さん、埋もれた地域資源を発掘して、たくさんの人のもとに届けてくださいね!

10年ほど前、地元の事業者が集まる会合で、初めて長池さんと知り合いました。セントジェームスのボーダーシャツを着こなし、あか抜けた人だなというのが最初の印象。家業を継ぐために東京から戻ってきたんだなくらいに思っていたのですが、今回お話しをうかがい、自身の難病発症や、破産寸前の家業を立て直すための死に物狂いの努力、仲間たちの信頼を裏切ったことへの自責の念……。たいへんなご苦労のうえに、いまがあることを知りました。
どん底を経験した人は、あとは上がるだけ。そんなふうにいわれることがありますが、それは、立ち直れないくらいの苦しみのなかで、人のありがたさを身に染みて実感したことが再生の原動力になるからなのかも。長池さんを見ていてそう感じました。
とはいえ、経営は根性だけではどうにもなりません。長池さんには商品の目利き力や、発掘力、開発力、空間デザイン力などがあるのでしょう。いまでもときおり都内へ出かけ、気になるショップに何時間と滞在し、どんなお客がどんなふうに時間を過ごし、買い物をしていくか、じっくり観察すると言っていたとおり、努力の人でもあります。15年以上続いている読書習慣もそのひとつ。
過去の自分と決別し、つねに自分を戒め、どうしたらもっとよい会社にできるか、働く人たち、関連業者さんたちを笑顔にできるか、考え続け、未来を描いているリーダー。彼のもとで下田時計台フロントがあるかぎり、このまちの玄関口は輝き続ける。そう頼もしい気持ちになった取材でした。

やっぱり、下田の駅前に「フロント」があってよかった。

下田のランドマーク、フロントの時計台。100年先まで時を刻み続けてほしいものです