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ひとは、自分の好きなことだけに夢中になっていいはず! 40歳デビュー男が下田の巨大倉庫で挑戦する「やさしい社会」づくりとは? local is beat 代表 梅田直樹さん


よく地域活性には「若者、バカ者、よそ者」が必要だといわれます。これは、単に年齢が若いとか、移住者であるとか、枠からはみ出たバカ者を指すわけではありません。
若者のようなフレッシュな感性。古い価値観や常識の枠にとらわれず、信念を突き通す行動力(バカ者)。そして、地域内に欠けている視野の広さ、まちの魅力と足りない要素を見極められる外部視点を持った人材が大事だという意味です。
今回ご紹介する梅田直樹さんは、まさに「若者」であり「バカ者」であり「よそ者」の3要素を持った下田のプレイヤーのひとり。
42歳まで紆余曲折の人生を送り、ある大きな出会いをきっかけに地域のコミュニティ形成や、まちを盛り上げるプロジェクトの立ち上げに携わるように。現在、使われなくなった巨大な倉庫をリノベーションし、小さな子どもからお年寄りまで人が集まる場所に変えると同時に、さまざまな領域のプロフェッショナルとチームを組み、斬新で、ワクワクする、新しい企てをいくつも手がけています。

合い言葉は、“local is beat” 

「常識やルールを取り払い、本当に好きなこと、やりたいことに熱中できる社会を、ここ下田からつくりたい。そうすれば、もっとやさしい社会ができるのでは」。素敵な夢を語る梅田さんに、地元の人も、このまちが好きで訪れてくれる人たちも「いいね」「楽しいね」「安心だね」と思えるローカルプロジェクトのつくり方、仲間たちと進める「やさしい社会」構想などについてうかがいました。

——梅田さんは、下田で板金塗装業を営む家に生まれ、40歳すぎまで自営業をされていました。その後、家業をたたんで、まったく異業種のアウトドアベンチャー会社に転職されるわけですが、ずいぶん思い切った決断だったのではないでしょうか。家業を続けずに、なぜゼロからのスタートを選ばれたのですか?

高校1年で中退して、父親が営む梅田板金塗装工業で働き始めました。19歳のとき、親とうまくいかなくて一度飛び出してしまったんですが、父が脳梗塞で倒れて半身不随に。病気の親を放っておけなくて、戻ってきてからは自分が家業を継いで、42歳で辞めるまで板金業を続けました。

27歳で結婚して、子どもも3人できて、父の世話をしながら、まじめに仕事していたと思います。板金塗装は、車体に傷がついたり、凹んだりしたときの修復や塗装を行う仕事で、いなかは車社会だし、時代的に職人が減ってきている状況でもあったので、わりと需要はあって順調でした。

ただ、20代から親戚の借金を肩代わりしなければならなくて、ずっと返済を続けていたんですね。それが35歳のときようやく完済できた。終わった!という安堵とともに、この先、自分がどうなっていくか、どんな人生を歩んでいくかが見えてしまった気がして、急に怖くなってしまったんです。僕にとって、未来が決まっていることほどつまらないものはない。愕然としてしまいましたね。

悶々とした毎日を送っているうちに、自分が40歳のときに父親が亡くなりました。それでいよいよどうにかしなければと。自分を変えるには、住む場所を変えるか、つきあう人間を変えるか、仕事を変えるかしかない。僕は、真っ先に仕事を変える選択を選んだ。オヤジの三回忌を終えて、親の代から約60年続いていた家業を手放しました。

ちょうどその頃、転機となる出会いがあったんですね。のちにお世話になるアウトドアベンチャー「VILLAGE INC.(ヴィレッジインク)」代表の橋村和徳さん。彼は佐賀の唐津出身なんですが、グランピングが流行る前からプライベートキャンプ事業に着目して、下田に移り住んで起業していた。あるとき行きつけの美容院に髪を切りに行ったら、偶然橋村さんがいて、ちょっと話したらお互いフィーリングが合いそうだなってなって、そのあと一緒に飲みに行ったんですよ。話を聞いたら、もともとはテレビ局の人。そこからITベンチャーの立ち上げに参画して、新しいマーケットを開拓するのに中国行ったり、めちゃくちゃエネルギッシュ。そんな人間が、いきなり辞めて知らない土地でキャンプ場をつくる。すげーキラキラして見えたんですよね。いちばん印象的だったのは、超ポジティブだったこと。伊豆で起業準備中にガンの宣告を受けたりもしたんだけど、見事に生還。諦めもしなかった。本人に「はっしーはなんで落ち込まないの?」と聞いたら、シンプルに「僕と仕事したらわかりますよ」と。それ聞いて、この人と仕事をしたら俺も変わるかも、と思ってしまった。42歳、VILLAGE INC.のメンバーになりました。

伊豆急下田駅から近い倉庫をリノベーションした事務所にて。梅田さんを訪ねて、行政、学校、民間、子どもたち…いろんなひとが集まります

――梅田さんは「パッションの人」という印象が自分のなかにあったのですが、それは、家業を辞めて、まったく新しい世界に飛び出そうという、しかも40代で、ある意味、後戻りできない覚悟を感じたからなのかもしれません。VILLAGE INC.ではどんなお仕事に携わっていたのですか?

最初は、南豆製氷の跡地にオープンした「NanZ VILLAGE(ナンズビレッジ)」(注・VILLAGE INC.の運営は2015年9月〜2023年3月まで)で初めての飲食店運営に始まり、地方創生事業の一環で、2018年の冬に会社が志賀高原に進出。使われなくなったスキー場を拠点として、施設運営を任されました。そのとき初めて下田から外に出たんですよ、僕。45歳。遅いデビューでしょ、笑。

NanZ VILLAGE(ナンズビレッジ)時代の梅田さん。

誰も知らない土地で、人を集めるのが自分の仕事。でもそれが逆に楽しかったですね。志賀高原はスキーやスノボをしにくる外国人が多くて、僕らは彼らをターゲットに毎週のように爆音を流してパーティーをしてました。たまたま海外向けのアウトドアツアーの運営会社の人と知り合ったおかげで、毎回100人くらい来てくれたんです。それを飲食チームの2名と自分と3人で回してました。地元の人たちと交流することもミッションだったので、地域の人たちが来やすいイベントも同時に考えて、合宿に来る大学生とかとも一緒になって、みんなが輪になって楽しめるようなことを次々やってましたね。こっちも100名が目標で、最終的には90名以上来てくれたかな。約半年の滞在だったのですが、ここでの経験がコミュニティづくりや、地域を盛り上げるためのアイデアにつながっているような気がします。集客や、交流の場づくりみたいなことがもしかしたら自分は得意なのかもしれないと気づけたことも大きかったですね。

冬の志賀高原。来店を待っているだけに留まらず、ストーリー仕立てのピザデリバリーを発案。「これ、めっちゃバズったんですよ!」

——その後、2019年12月にオープンした長期滞在型ワーケーション施設「LivingAnywhere Commons」(以下、LAC)の立ち上げ、運営に携わります。こちらはどんな経緯で?

2019年4月、VILLAGE INC.とLIFULL(LACの運営会社)が業務提携して、LACの2拠点目ををつくろうという計画が持ち上がりました。ちょうど僕が下田に戻るタイミングだったこともあり、自分がマネージャーとして、立ち上げから携わることになりました。その後、LACを全国展開することになり、自分は各拠点に必要なコミュニティマネージャーを育成する仕事を任されました。それで2年間ぐらいまた下田を離れて、各拠点の立ち上げとコミュニティ形成をサポートして回るように。

LAC伊豆下田での梅田さん。
LACは立ち上げて間もなくコロナ禍となり、難しい運営が求められました。

最初は会津磐梯。いやあ、人に何かを教えるとかやったことがなかったから、手探りでしたよ。でも、ずっと下田にだけいたら、40すぎてからこんな経験させてもらえることなんてないじゃないですか。さっき話したように、自分は先が見えてしまっているような人生はつまらないと思っているので、未知の世界に触れられることが楽しかった。ワクワクしながら、うまくいかなければ、じゃあ次はこうしてみようとか。知らない人のなかにも勇気を出して飛び込んでいって。

コロナ禍だから大々的に人を集めることができなかったけれど、でも何もしないわけにはいかなくて、地元の人たちのところへ1軒1軒訪ねていって、「はじめまして」から始まって、今度、こういう施設ができてイベントやるので来てくださいという活動をコツコツ続けた。そうしたら最初は閉鎖的だった人たちが少しずつ心を開いてくれるようになって、なんとなくコミュニティができてくるんですよね。何がよかったかわからないんですけど、人が変わっていく姿をリアルに体験できるのはめちゃくちゃ面白かったですね。

ただ、大きなプロジェクトを運営するには緻密な計画が必要で、これはナンズを任されていた頃から学んできたことです。何をやるにも事業計画書をつくるのですが、ちょっとでも曖昧な部分があると、すぐに指摘されて突き戻される。その数字、どうやって集めるの? こっちは? もう理不尽なくらいに詰められて、でもそのおかげで、明確なコンセプトと想いと、裏付けするもの(数字)がないと事業はうまくいかないことを学べました。徹底的に考え抜いたとしても失敗するときは失敗するんですけど。でも想いを入れているから、外したときにその原因がわかる。次は同じ轍を踏まないようにすればいい。

とにかく僕は42歳で初めて会社員になってから約8年。やったことのないことばかり経験させてもらってきたんです。そして昨年、今度は自分で地元の下田を拠点に何かやってみようと、お世話になったVILLAGE INC.を卒業しました。

——インタビューは、以前ご紹介させていただいた山本建築さんが所有する大型倉庫「WITH A TREE」で行われました。ここはもともと地元の建材業者の倉庫だった場所で、長らく使われないまま空き家状態でした。ここを利活用することで、地域のにぎわいをつくりだそうというコンセプトで、2020年7月から「WITH A TREE」プロジェクトがスタート。その志に共鳴した梅田さん(山本建築の代表、山本剛生さんとは同級生で大の仲良し)はここを拠点に、さまざまなプロジェクトを立ち上げています。2023年11月には合同会社「local is beat」 を設立。「自分は遅咲き」という彼が、50歳を過ぎてから挑戦するローカルプロジェクトとは?

2020年「WITH A TREE」プロジェクト立ち上げ当時の様子。左上が梅田さん。

LACの運営に携わらせてもらい、全国各地を回ったなかで気づいたことがあります。どの地域も、いろいろな人たちがその地域を盛り上げようとかかわるのですが、賑わっているまちは、ローカルの人間が本気でやっているところばかりでした。自分は地域活性とか、大きなことを考えているわけではないけど、人と人が集まることで、面白いことが起きるというのをこの10年くらい目撃し続けてきたんですね。それが地域を変えたり、盛り上げたりしている。じゃあ、そういう場を自分がつくったらどうなるんだろう。そんな発想で、現代の「寺子屋」をつくりたいと思っています。知らない者同士でも、それぞれが持っている知恵やスキルをシェアし合って、学び合う場があったら、新しいことが下田に生まれるかもしれないねという、実証実験の場。それが僕にとっての「WITH A TREE」であり、「local is beat」で挑戦しようとしていることです。

「WITH A TREE」でのイベントの様子。
梅田さん(右)は水を得た魚のようにイキイキしています。

——多様な人たちが学びをシェアして共存するイメージ?

共存の場とは違うんですよね。僕は「個」を大切にしていて、もっと「個」が自分の得意や、やりたいことを自由にやってもいいんじゃないかと常々思ってきました。local is beatは、僕のひとり会社ですが、LAC下田をきっかけに知り合ったランサーズの根本泰之さんや、デジタルコミュニケーターの塚田エレナさんなど、さまざまな領域のプロフェッショナルが事業パートナーとして「WITH A TREE」を盛り上げようとしてくれています。みんな「個」を大事にしている人たちで、その価値観をベースに、アイデアを持ち寄っていろんなプロジェクトを実現させたい。

彼らとよく話すのですが、テクノロジーが発達し、日常の単純作業的なことはAIが担うようになると、僕らはそういう雑用から解放されて、本当にやりたいことやクリエイティブなことに集中できるようになる。つまり、やりたいことだけをやれて、自由に生きられる時代がやってくるということ。でも、なぜかいまだに「でも」とか「とはいえ」とか、「現実的には」といった否定的な意見のほうが多いですよね。

僕はそうした従来の価値観に惑わされたくない。自分の欲求を止めたくないんです。もし自分がそうした意識でいたら、僕は会社を辞めなかったはず。それなりに給料をもらえていたし、この先も多くを望まなければ生活に困るようなことはなかったかもしれない。でも、それじゃあ好奇心を満たせないんですよね。自分はずっと好奇心をもって生きていきたいんです。たとえリスクがあっても、新しい世界に飛び込むほうを選んでしまう。もしやりたいことで食えなくなったら、バイトでもなんでもやればいい。そこは怖れずに本気でそう考えていますね。

「WITH A TREE」では夜な夜な、さまざまな議論が繰り広げられています。
右はデジタルコミュニケーターの塚田エレナさん。

——梅田さんのような自由な考え方。生き方。将来を模索している若い人たちの背中を押すと思います。たんに感性だけで突っ走ってきたのではなく、苦労して蓄積してきたノウハウ、経験があるわけですから。
「個」の得意を活かしてビジネスに結びつける——。具体的に動いているプロジェクトはありますか?

昨年11月に立ち上げたばかりですが、ありがたいことにいくつかの企業さんや行政の方から声をかけてもらって、複数の事業が同時並行で進んでいます。
ひとつは、下田市からの依頼で、地元の若手事業者を育成するプログラムを専門家にコンサルティングしてもらって、実施しました。10事業者ほどが参加してくれて、約1年間かけて新商品開発や、販路開拓、PRなどビジネス支援を行い、一定の成果を得ることができました。それぞれ売上げが伸び、事業者のみなさんがよりやる気になってくれたことが嬉しかったですね。この実績から、南伊豆町の1事業者も継続サポートしています。

若手事業者育成プログラムには、多くの地元事業者が参加。

これは僕の考えなのですが、どんなに外から企業がやってきたとしても、地元の事業者が自力で儲かる体質に変わらなければ、地域の経済は強くならないと思うんですよね。僕のまわりには幸いなことにマーケティングや宣伝、商品開発のプロフェッショナルたちがいます。彼らの力を借りながら、伊豆の事業者の経営力を強くしていくサポートは継続的にやっていきたいと思っています。

東京の案件もいくつかスタートしています。
丸の内、大手町、有楽町の大手企業が連携して行っている「ACT5」というプログラムがあります。SDGsを達成するためのさまざまな取り組みを展開しているんですが、この一環として高校生のキャリア教育プログラムを下田高校2年生有志と一緒につくっています。2022年7月から翌3月までのコースで、今年も継続して行う予定です。

教育プログラムにて高校生に話をする梅田さん。

新規飲料メーカーのお手伝いもビッグプロジェクトですね。
世界的にノンアルコール市場が伸びているのですが、このメーカーでは、植物由来の素材を短時間でハイクオリティに引き出す専用の抽出機器をつかって、新しい飲料体験を提供しようとしています。製品化はこれからなのですが、認知度を高めるために今年1年かけて大々的にPRを展開しようとしています。僕らがお手伝いするのは、PRのツールとして、抽出機器を装着したトレーラーをつくり、全国各地のイベントやフェスで試飲会キャンペーンを展開すること。自分がもともと板金屋だったので車について多少詳しいというのがあって、参画させてもらうことになりました。富裕層向けの製品なので、トレーラーにはラグジュアリーなデザインがほしい。当初は、都内のデザイン会社に発注する予定だったのですが、デザインとかギミックとか作り込んでいくのに、自動車のことがわかっていないとできない。それで、河津の天城カントリーさんを紹介して、彼らに手伝ってもらうことになりました。グローバル企業もからむような大きな案件ですが、そんな大きなプロジェクトを伊豆の小さな事業者がつくったという実績がつくれたら、彼らにとっても、僕らにとっても大きな自信になるに違いありません。外から外貨を引っ張ってきて、地元に還元する。これも自分が意識していることですね。

最後に。今年4月に、中高生が無料で楽しみながら学べる「TREE CAMPUS」を開校します!
これは、ちょっと前に話した「やりたいことに夢中になれる社会」の実現に向けての、小さな一歩です。「人はもっと好きなことに熱中していい!」ということに気づいた僕らみたいな大人たちが、これからを担う子どもたちに伝えていかなければ!という想いからスタートした「ポストスクール構想」です。

募集が始まったばかりの「TREE CAMPUS」。詳細はこちらをチェック!


具体的には、東京や海外で活躍する自由で専門領域をもった大人たちが講師となり、学校では知ることのできないリアルを、実践形式で教えていこうという授業。第一線で活躍するいろんな大人と触れ合うことで、子どもたちの未来の選択肢が広がればいいなと思っています。

僕の秘かな夢は、下田から大谷翔平くんみたいなスーパーヒーローが生まれること! いや、マジメに。いつかきっとそんな逸材が誕生する日がやってくると信じて、僕らはワクワクしながら、開校に向けて準備を進めているところです。

「TREE CAMPUS」がスタートしたら、きっとこんな感じに、いえ、これ以上にエキサイティングな空間に変貌するに違いありません。楽しみ!

梅田さんのことは、彼が家業である板金屋さんを辞めて、ゼロから新しい人生をつくり直そうとしていた頃から知っています。地元で長く続けてきたご商売。盤石の人生がある意味約束されていたはずなのに、もったいない。家業を捨てるのか? 当時、いろいろな人がいろんなことを言いました。でも、彼は揺るがなかった。自分の信じる道をひた走ってきました。
ひとは年をとるごとに保守的になりがちです。でも、梅田さんは逆。「自分の人生が決まっていることほどつまらないものはない」と、自分が知らないこと、まだ見ぬ世界を求めて、失敗も怖れずに挑戦、挑戦、挑戦の連続。そして現在。彼はふつうの人が20年30年かけて身につけるようなスキルと経験を、たったの10年で自分のものにしたのだと思います。それくらい42歳からの10年は彼にとって濃厚な時間だったのではないでしょうか。
日本を代表する大手企業の仕事を下田に引っ張ってきたり、地元の事業者が元気にならなければまちの経済は活気づかないとやる気のある若手事業者たちのサポートにも手腕を発揮。そして、「まちの未来は子どもたちのもの」が口癖で、子どもたちのために喜んで汗を流す。そんな彼のことが大好きで、梅田さんのまわりにはいつも頼もしいパートナーがいて、彼を支えてくれています。

“local is beat”
梅田さんが仲間たちと一緒に起こそうとしているのは、ローカルイノベーション。地元の事業者、行政、学校を巻き込み、東京のトップ企業や、第一線で活躍するプロフェッショナルたちを味方につけ、この先、どんな斬新なイノベーション旋風を巻き起こすのか。ワクワクしながら見守りたいと思います。いや、見ているだけじゃつまらない。みなさんも一緒に!チーム梅ちゃんのメンバーとなって、まちのため、子どもたちのため、自分たちのために汗を流しませんか。きっと、愉快で、ハッピーな時間が待っているに違いありません。

下田から始まる「やさしい社会」革命。すでにじわじわ広がっています!下田の「今」が知りたい方は、WITH A TREEへGo!