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海女さんは人生の達人。自然とともに生きる女性の生きざまをテーマに写真活動<後半>フリーカメラマン津留崎徹花さん


移住した先の下田で出会った「海人」の世界に魅了され、昨年3月と10月に写真展『海と、人と』を東京と下田でそれぞれ開催したフォトグラファーの津留崎徹花さん。「最初はどこかに発表することなど考えてなくて、ただ自分がワクワクするものを撮りためていただけ」と振り返ります。
でも、純粋な「ワクワク」は、見る者の心を動かすもの。写真展を訪れた人たちからはさまざまな感想が寄せられましたが、なかには徹花さんが思ってもみなかった反応があったそうです。
後半は、写真展を通じて見えてきた「写真の力」について、また、今後取り組みたいテーマなどについてうかがいました。

※トップの写真は、津留崎家にて。ご主人の鎮生さんは、徹花さんの一番の理解者であり、写真活動をサポートするパートナーでもあります。



■「私も海女になりたい」。写真展に訪れた女性のつぶやき


——東京と下田の2箇所で同じテーマの写真展を開催してみていかがでしたか? どれくらいの来場者数があったのでしょう。

東京は6日間で300人以上の来場者があったとうかがっています。下田の会場は下田東急ホテルさんのスペースをお借りしてだったのですが、同時に写真展の内容と関連づけた海の食材を用いたビュッフェイベントも行われていて、その参加者が3日間で約400人だったそうです。ビュッフェだけの方もいたかもしれませんし、写真だけご覧になった方もいるかもしれませんので正確にはわかりませんが、でもたくさんの方に写真を見ていただけたと思います。

下田東急ホテルでの写真展の様子


下田は会期が3日間と短かったにもかかわらず、地元の人たちがたくさん来てくれました。被写体となってくれた海人さんたちもみんな来てくださって嬉しかったなあ。海女さんは高齢な方が多くて、いちばん多く撮影させてもらったのは87歳と88歳のふたり。もちろん現役です。お一人は2日間連続で来てくれて、ものすごく喜んでくれました。大きなパネル写真になった自分たちの姿をまじまじ眺めて、ゲラゲラ笑ってました。「しみだらけやなあ」「写真にするとすげえなシミって」とか言いながら。笑いながら涙も流していて。
ある海女さんはこうして撮り続けてきたことを評価してくださり、「あんた本気で頑張ったもんな〜、それがこうやって実ったんだよ。それをあたしは見てきたからさ、涙でるよ」と言っていただきました。

海女さんたちのご家族が来てくれたのも嬉しかったですね。みなさん、じっくり写真を見てくれて、自分の母親や親戚のおばあちゃんが日々当たり前のようにしている営みが、写真展として注目されるくらい貴重な地元の文化を担っているのだと再認識されたみたいです。「うちのばあちゃん、すごいんだ」っていう感じで。

同じ下田に住んでいても、一般の方は漁に触れる機会はあまりないと思います。だから新鮮な気持ちで見ていただけたのかな、涙ぐみながら見てくれている人が何人もいました。「こんな大変な苦労をして海藻が採られることを初めて知りました」とか、「これからはもっと大切にいただきます」とか。

今でも忘れられないのは、40代の友人がかけてくれた言葉です。彼女は私と同じ移住組なんですが、海女さんたちのたくましくも美しい姿に感動して、「私も海女になりたいと思ってしまった」と言い出したんです。「染めとか織物とか農業などの手仕事は、それこそが人の営みとしての原点。さらに、自然の恵みで営まれている海女の暮らしこそ、究極の手仕事なのではないか」と理解されたようです。
皺のある顔も人間の本質だと感じられて、全部がまぶしく見えた……というようなメッセージをあとから送ってくれました。

下田での写真展に来てくれた海女さんたちと


■写真がまちを元気にする


———写真を見て、海女さんになりたいだなんて、すごい。それだけ徹花さんの写真から、受け取るものがあったんですね。

私はただ自分が純粋にかっこいいな、すごいなとワクワクして、その衝動に駆られて写真を撮っていただけなんです。でも、そうやって撮りためてきた写真を下田の人たちが見て、感嘆したり、涙を流したりしている姿を目の当たりにすると、写真ってこんなにも人を喜ばせられるツールだったのかと思いますよね。

尊敬する写真家のひとりに、写真の力で地域を元気にする「ローカルフォト」というプロジェクトを各地で展開されているMOTOKOさんという方がいます。MOTOKOさんは私がずっと下田で海人さんをはじめとするローカルな写真を撮っていることに関心を寄せてくださっていて、まちなかの「Table TOMATO」さんの一角をお借りして小さな写真展を開いたときに、「写真と地域」について対談しましょうとお声がけいただきました。そのトークイベントでMOTOKOさんとお話しさせていただいたなかで、写真とは何か、自分がやっていることの意義みたいなものを気づかせてくれる言葉がありました。

MOTOKOさんは、「写真は、いいアクションを起こす力がある」と言います。「被写体や見た人を、前向きな方向に向かわせることができる」と。そして、写真は技術よりもワクワクが大事だとおっしゃった。地元の人にとっては当たり前に見えていたものが、私がワクワクしながら撮った写真を見て、自分たちの宝だと気づいて、それが自信になる。MOTOKOさんはそうした変化を「シビックプライド」という言葉で表現していました。私は移住者だったから、地元の人が見過ごしているもののなかに、輝くダイヤモンドがあることを見つけることができたのかもしれません。海人さんたちの日々の営みがまさにそう。地元の人たちにとっては自分たちの暮らしのなかにある存在だから、気づかない。でもそれがいかに素晴らしいものか、地域にとっての宝物であるかを、ただワクワクして夢中で撮った私の写真から感じてもらえたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

Table TOMATOで行われたMOTOKOさんとのトークイベント


■なぜ海女さんの写真を撮り続けるのか


———下田で生まれ育った私にとっても、徹花さんが捉えた海人さんの写真は知らない世界でした。あんなに白波立っている危険な岩場で海藻を採っていることも、海女さんたちが80歳を超えてなお、現役でお仕事をされていることも驚きでしたし、海中にまっすぐに潜る姿はなんとも美しくて神聖な感じがしました。ヒジキもワカメも貝類も、毎年その季節になると、とれたてを食べることができる私たちはとても贅沢だということを改めて思いました。それに、代々、海とともに生き、そうした生業や文化を守り受け継いできた伝統が下田に残っていることへの誇りも忘れたくないと強く感じた写真でした。私だけでなく、徹花さんの写真を通じて、自分のまちにプライドを持てた人は少なくないのではないでしょうか。
東京と下田、念願の写真展を終えて、つぎに取り組みたいテーマなどはありますか?

今回は、海人さんにフォーカスしましたが、伊豆にはまだまだ私の知らない食文化とそれを担う生産者さんたちがいます。山に目を向ければ、きのこを栽培している人もいるし、鹿や猪など森の動物を獲る猟師さんもいて、わさび農家さんの現場も見てみたい。そうした生産者さんたちを撮影してみたいという気持ちはあるのですが、海女さんの写真はまだまだ。やりきれたとは思っていなくて。これから先もずっと撮りつづけていきたいと思っています。
じつは、ここ数年海藻や貝類の収量が激減しています。温暖化による影響ともいわれていますが、そうした状況も記録として残していきたいと感じています。

海人のなかでも、とりわけ惹かれるのは高齢の海女さんです。それは海女さんが同じ女性であり、自分が生まれ育った時代よりはるかに過酷な時代を生き抜いてきた、人生の大先輩だからです。しかも、厳しい自然との関わりのなかで生きてきた人たちです。

海の漁は常に危険と隣り合わせです。そうしたなか、長年営みを続けてきた海女さんたちは否が応でも自分自身の肉体や命と向き合ってきたのだと思います。
だから、達観しているというか、あるがままの自分を受け入れて。自分の目の前て生きているというのか。海女さんたちを見ているとそんな気がして、私もこんなふうにどしっと構えて生きられるようになったらいいなと思うんです。

——海女さんの生きざまに、私たちがこれからを生きるヒントがあると。

私自身、いつも葛藤しながら前に進んではぶつかって、一歩下がってみたいな人間なんです。不安になることも、迷うこともある。だから海女さんたちの話を聞くのがすごく好き。ここに至るまで、どんな人生を送ってきたのか。海とどうかかわり、何を感じ、学んできたのか。日々の生活のこととか、家族のこととか、なんでも。そこに、学びや救いがあるような気がしているんです。

海は、自分たちに欠かせない存在であり、生まれたときからそこにあって絶対に切り離せないもの。88歳の海女さんがおっしゃっていました。「海に出られなくなったらさみしいよ。だから、健康がいちばんの億万長者だよ」って。海女さんたちにとって海は、危険を伴う存在であるとともに、自分たちに恵みをもたらしてくれる、なくてはならない存在なんですね。

海女さんたちが高齢でも元気でいられるのは、生涯現役で社会の一員でありつづけられることも一つの理由だと感じます。それは、やりがいを持ち続けられるということですよね。
さらには、先祖代々が海の資源を守り、受け継いできてくれたおかげで、自分たちが暮らせる。自然と、先人たちへの感謝。海との関わりのなかで、そうした敬意を持ちながら今を生きている。そういう姿勢も含めて、海女さんと話をするといつもすごいなあ、かっこいいなあと学ばせてもらってます。

下田の海女文化の素晴らしさを改めて学ぶ機会となりました


——なるほど。そうした実感値があるから徹花さんの写真には説得力があるというか、何か強いものが宿っている気がします。

いまも収入面でいえば東京の仕事がメインになっていて、刺激を受けるし勉強にもなります。これからも続けたい!のですが、今年は50歳。自分が昔から興味をもっていた食の現場や、海女さんのような人生の達人をもっと追いかけたい。写真に加えて文章も添えて、フォトエッセイのようなものにまとめられたらと思っています。

下田に来て驚いたことのひとつは、元気な80代、90代が多いことです。海女さんをはじめとして、生涯現役でイキイキとお仕事したり畑仕事をされている。都市部でももちろん、そういう方はいらっしゃると思うのですが、私はあまり接点がありませんでした。
自然がいっぱいあるからですかね。みなさん器用に野菜をつくっていて、たくさんできたからって、よくいろんな野菜をいただきます。海女さんたちは畑仕事もやっている人が多くて、海も畑も……って本当にすごい。
こないだ85歳の海女さんが「ここはいいとこだよ。海のものも山のものもみーんなあるから、食うに困らないよ」と言っていた。この人も野菜をつくっていて、あるとき「海で海藻や貝をとるのだけでも忙しいのに、畑までやったら大変じゃないですか?」と聞いたら、一瞬、ぽかーんとして、「買いに行くほうが大変だろう」って。「今、野菜いろいろ高いらしいじゃない」と。その海女さんは車を持っていないから、たしかに市内のスーパーに行くのはひと苦労だろうけど……。でも「なんで野菜づくり始めたんですか?」と重ねて聞いたら、また、ぽかーんとした顔をして、「そこに畑があったから」って言うんです。その海女さんにとってはごく当たり前のことで、その答えは私にとってなんだか感慨深いものがありました。

海女さんたちは、海だけでなく畑仕事の達人でもあるのです


■海女さんの人生を写真集にまとめたい


———自然との関わりのなかで生きてきた人たちだから、海も畑も、やるのが当たり前、という感覚なのでしょうか。すごいですね、何か超越している気がします。

だから、通ってしまうんです。人生、こんなふうに生きることができるんだと思える先輩がまわりにたくさんいるのはとてもラッキーなことだと思います。私は迷って、つまずいて、前に進むタイプだと言いましたが、もしかしたら、いろいろ迷っていたから海女さんのところに通っているのかもしれません。生きるヒントがほしくて。
昔から、昔ながらの知恵をもっているご年配の方の人生に興味がありましたが、下田で暮らさなかったら、ここまで深く接することも、創作活動のテーマとしても掘り下げることはできなかったと思います。
いま、海女さんたちの時間のあるときに少しずつ人生を聞かせてもらっています。ご自分がとってきた海藻や貝をどうやって料理されているかも教えていただきながら。それを写真集か何かにしてまとめたいと思っています。

——クリエーターには、大きく分けて2種類のタイプがいると思います。ひとつは、テーマを自分の外に向けて、創作活動を行うタイプ。もうひとつは、逆に自分の足元だったり、自分自身にフォーカスして、パーソナルな世界でオリジナリティを構築するタイプ。津留崎徹花さんのロングインタビューを終えて、彼女は後者なのだと感じました。彼女は東京で、たくさんの著名人の撮影を手がけながら、その一方で下田の海人さんたちの生きざまにリスペクトし、長い時間をかけてほかの写真家には撮ることができない「下田の海と海人の世界」を作品に残しました。
下田にいると、つい外に意識が向きがちな自分。でも、徹花さんが示してくれたように、自分にとってのダイヤモンドは、この小さな港町のなかにきっとある。それを見つけることができるかどうかは、これからの自分次第なのだと思います。
いつも新鮮な視点で、下田の魅力を写真を通じて発信してくれている徹花さん。これからの活動がますます楽しみでなりません。

徹花さんのクリエイティブワーク、これからも楽しみです!