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『まちの明かりを灯し続けたい。』ライター×酒場×書店?下田×大磯…?Table TOMATO 山田真由美さんにその想いを聞く。

下田のまちなかの商店街には、残念ながらシャッターが下りている店が多くあります。
多くの場合、『後継者』がいないことがその原因のようです。
そうしてシャッターを下ろしてしまう店が多い中、今回は、珍しいカタチで店を引き継ぎ、まちに明かりを灯し続けている方を紹介します。
何が珍しいのか?というと、お義父さんが長年経営されていたブティック『TOMATO CLOSET』を、2017年に娘の山田真由美さんが酒場『Table TOMATO』とセレクト書店『Books半島』へと、業態を変えて引き継きついだのです。
山田さんは引き継ぐにあたって、それまでの湘南エリアの拠点を維持しつつも下田にも拠点を持つという選択をされました。
また、雑誌や書籍の編集者でもあり、酒場にまつわる著作もあるライターでもある山田さん。
それらの仕事との兼ね合いで月に10日ほどという変則的な営業形態であるにもかかわらず、今では、観光客から地元の方までに人気の繁盛店となっています。
湘南と下田の二拠点居住や、編集者、ライターと飲食店、書店経営の複業スタイル。
憧れてしまうような素敵な生き方!
…なのですが想像するになかなか大変なことも多そうです。
どんな思いで、お店を引き継いだのか?二拠点居住や複業って実際、どうなのか?
お話を伺いました。

お忙しいところ、ありがとうございます!

『Table TOMATO / Books半島』の運営に編集やライター業、下田と大磯の二拠点居住…とってもパワフルに活動されていて、いつも刺激をいただいております。
では、あらためて、生まれ育ちから、お店を引き継ぐまでの経緯を教えていただいてよいでしょうか?

下田生まれ下田育ちです。
夏は毎日海水浴、サーフィンも少しだけかじったりしていて、下田の海が大好きな子どもでした。
あと雑誌も大好きで、特に『Olive』なんかをワクワクしながら読み(注:『Olive』(オリーブ)は、女性向けファッション雑誌。1982年から2003年まで発刊。)、こんな雑誌をつくってみたいと思うようになっていったのです。
そんなこともあって、下田を出て湘南の短大のマスコミコースに進学し、卒業後はいくつかの出版社で雑誌や本をつくる経験を積み、38歳でフリーランスとして独立しました。
高校を卒業してからずっと東京だったので、もう東京を卒業するタイミングな気がして、少しだけ下田に近い鎌倉に拠点を移しました。
やっぱり海と下田が恋しくなってしまい…笑。
それまでは、雑誌や書籍の裏方的な役割で自分の名前が世に出るような仕事はあまりしてこなかったのですが、独立をきっかけにもっと関心のあるテーマを自分の言葉で表現する仕事もしたい!と、出版社に企画を持ち込んでいました。
そうして『おじさん酒場』という、酒場での人間模様をつづる本の企画が通って、その取材を進めている時に私の人生を大きく変えるできごとがありました。

『おじさん酒場』は山田さん初の著書。2017年発行、2020年増補版として文庫化。

少し話が戻るのですが、子どもの頃から下田のまちなかにはブティック『TOMATO CLOSET』があり、子どもの頃はお年玉を握りしめて、お気に入りの洋服を買い物に行くような憧れの店でした。
その『TOMATO CLOSET』のオーナーには、洋服だけでなくjazzやコーヒーなどのさまざまな『文化』を教えてもらっていたのです。
文化を発信するような雑誌に夢中になったのも、その原点にはここでの体験があったかと思います。
私の母もトマトに通うようになり、やがて店のオーナーと再婚しました。
その後も、『TOMATO CLOSET』には、帰省の度に通って洋服や雑貨を買ったり、パソコンを持ち込んで仕事をさせてもらったりしていました。
とにかく、この場所が大好きだったんです。
でも、父も母ももうすぐ70代という年齢になり、「トマトを辞める」決断をしました。父からその話を聞いたのは、2016年の年末でした。

『TOMATO CLOSET』は1980年のオープン。
コム・デ・ギャルソンやズッカなどを扱うこだわりのお店で、いわゆるまちのブティックとは一線を画す雰囲気だったそうです。

それでお店を引き継ぐことになったのですね。
でも、鎌倉にお住まいで、編集者やライターとしてもお忙しくされていたのでしょうから、なかなか難しい決断だったのではないですか?

知ったのが父が決めた閉店まで2ヶ月前でした。
え?閉めたらここがなくなっちゃうの?
自分を育ててくれたこの場所を手放したくない。
下田のまちの明かりを灯し続けたい!
そんな想いが湧きはじめて、自分で何かやれないか?やれるとしたら、酒と酒のつまみが好きで、よく友人を呼んで料理をつくっていたこともあり、酒場ならなんとかできるんじゃないかと考えました。
でも、経済的にも鎌倉の家の家賃もあるし、いろんな飲食店に取材でもプライベートでも行っていましたが、経営したことはありません。
そんなこともあり、人生でこれほど悩んだことはないというほどに悩みぬいて…、とはいっても、考える時間もあんまりなくって、半ば勢いだった気もしますが受け継ぐことを決意しました!
これがしっかり時間あったら悩んだ末にやらなかったのかも?今はそう思います。

2017年2月『TOMATO CLOSET』が37年の歴史を閉じ、
2017年4月に『Table TOMATO』として新たなスタートを切りました。

勢いがなければ決断できない時、確かにありますね。
でも、Table TOMATOがあるから下田に来てくれるというほどに人気なお店となっているので、まちの人間としてはその決断をしていただいてありがとうございます!と感謝したいくらいです!
では、どんなお店にしたいという思いではじめられたのですか?

まちの明かりを灯し続ける「Table TOMATO」。

ここで生まれ育ったので地の食材の魅力は当然、感じていたのですが、どうしても画一的な提供方法が多い気もしていて。
例えば、『ひじき』といえば『煮物』みたいな。
もちろんとってもおいしいんですけど、自分は職業柄、様々な飲食店でいろんな料理を食べてきていたので、地の食材の新しい魅力を発信できたらいいなと思っていました。
そんな料理がのった食卓をみんなで囲うお店を考えていました。
でも、当初はなかなか厳しかったですよ。
私も経験が少なくて、余裕もなかったし、「おしゃれすぎて入りにくい」とかよく言われてましたし。実際、ブティック時代から入りにくい雰囲気があったかもしれません。まちの人に気軽に入ってもらえるよう、いろいろ試行錯誤の連続でした。
そして、開店して1年後くらいに2階でセレクト書店『Books半島』をはじめて。
その頃に、もう一つの拠点を鎌倉から大磯に移して、下田にさらに近づきました。
あとは、より食材へのこだわりを強くしたり、ナチュラルワインや静岡のクラフトビールを充実させていったり。
そんな試行錯誤が功をそうしたのか、今ではこの店を気に入ってきてくださる方が増えてきました。

2階「Books半島」には山田さんセレクトの本が並びます。
山田さんの著書ももちろんおいてあります。(写真中央、『おじさん酒場』『女将さん酒場』)
酒場についての本を書かれているだけあって、Table TOMATOには『酒場』の美学を感じます。
山田さん直筆の黒板メニュー。
Table TOMATOは地魚と野菜、ジビエを中心にしたシンプルな料理が多い。

今では、いつもお客さんでいっぱいのTable TOMATOさんですが、はじめた当初は厳しい時もあったのですね。
試行錯誤して、やり続ける。
どんな仕事でもそうでしょうけど、とても大切なことなのだとあらためて感じました。
お店をはじめられてからも、下田とも湘南エリア(当初は鎌倉、今は大磯)の二拠点で活動し、また、仕事の面でもライターの仕事も引き続きやられています。
二拠点暮らしに複業に…となるとかなり大変なのでは?と感じてしまいますが、実際はどうなのでしょうか?また、それを続ける原動力は何なのでしょうか?

二拠点も複業も、もちろん大変なことは多いです。
でも、それぞれの暮らしだったり仕事だったりが相互によい影響をもたらしていることもたくさんあります。
例えば、ライターや編集の仕事でさまざまな地域に行き、さまざまな店で飲み歩くことが、Table TOMATOの料理に活かせていますし、こうした刺激がTable TOMATOをつくってきました。
あと、大磯だったり編集者だったりの人脈でTable TOMATOでイベントをすることもあります。
これは、下田の人に自分のお気に入りを紹介したい!下田に「ヨソ」の風を吹かせたいという思いでやっているのですが、それも含めてTable TOMATOらしさと考えています。

今年の8月に開催された、山田さんの大磯お気に入りワイン酒場「CANCAN」によるイベント。
同じく8月に編集者として関わりのあるイラストレーター平尾香さんの個展とイベントを開催。

確かに、Table TOMATOって、下田らしさにこだわってはいつつも、どこか都会的な洗練された雰囲気があります。
それはこうした山田さんのバックグラウンドが影響しているのですね。
とても納得いきました。
では、Table TOMATOで開催されていた下田のまちについて語るイベント「風待テーブル」についてお聞かせ願えますか?コロナ禍で中断してしまっていますが、今後の予定などもありましたら是非お聞かせください。

下田は「風待ち港」の歴史があります。
風待ち港とは、悪天候で船を一時的に避難させる港のことで、下田は江戸時代に大阪と江戸という最も海運が発達した航路の重要な風待ち港であったことから栄えました。
そんな下田ですが、昨今は人口減少やシャッター通り化する商店街…など問題が山積みです。
そこで、風待ちをする船のように自然とさまざまな人たちが集まり、まちのこれからについて語り合う、そんな場が必要なのではと「風待ちテーブル」と銘打ったイベントを、2019年の春にはじめました。
まちに熱い想いをもった素敵な方々に登壇していただき、そして、その後に参加者みんなで語り合い交流を深める、というスタイルでやっていましたが、コロナ禍となり中断を余儀なくされてしまい。
でも、コロナも落ち着いてきて、人びとの動きも活発になっている今、だからこそこれからの下田をどうしていきたいか、どんなまちをみんなが望んでいるか、逆に、どんな課題にぶつかっているか。
変化の激しい時代だからこそ、みなの知恵を持ち寄って、何かあったときには助け合える仲間づくりが大事な気がしています。
具体的な目処はまだたっていませんが、来年早々には再始動したいと思っています!私ひとりの力では限界があるので、想いを同じくする仲間たちに手伝ってもらいながら!!
開催のさいにはSNS(Facebook / Instgram)で告知しますので、是非、お越しください。

2019年に開催された第一回「風待ちテーブル」の様子。

それは楽しみです!
では他に今後の展開で考えていることなどありましたらお聞かせください。

近々、改装を予定しています。
ここに集った方同士が、もっとつながりやすい空間にしたいのです。
店全体がひとつのテーブルになるようなイメージを考えています。
こちらもお楽しみに!
引き続き、いろんなお店の料理を取材して刺激を受け続けていきたいです。
下田であがって有効活用されていない未利用魚も積極的にメニューに取り入れて、下田の食材のあらたな魅力をつくっていきたいとも考えています。
あとは、Table TOMATOは月に10日ほどの営業なので、お店をあけていない期間、この場を有効利用したいとも考えていて。
以前、バーを営業してくださった方がいて、大人の社交場という雰囲気がすごくよかったのですが、事情によりやめられてしまいました。
この場を一緒につくってくれる方、我こそは!という方いらっしゃたらお声おかけくださいね。

改装にメニュー開発などなど…今後も楽しみですね!
二拠点暮らしに複業にと、大変さもあるとは思いますが、『Table TOMATO / Books半島』がこのまちに存在する意味は本当に大きいと思います。
今日はお忙しいところ、ありがとうございました!

Table TOMATO / Books半島 には、お邪魔する度に「進化」を感じていたのですが、今回のインタビューでその理由が分かった気がします。
大磯を拠点としたライター・編集者としても活躍しつつ、故郷下田で飲食店とセレクト書店を営業する。
そのどちらもが、それぞれに良い影響をあたえていることから、この「進化」があるのでしょう。
山田さんの、Table TOMATO / Books半島の「進化」に、今後も目が離せません。

まちに明かりを灯し続ける意味を考えさせられる取材となりました。

Table TOMATO / Books半島
静岡県下田市1-11-18
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