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まちをつくる。まもる。元気にする! 建設業界のイメージを塗り替える若手リーダー 河津建設株式会社 河津元さん

みなさんは「建設」という仕事に、どんなイメージを持たれていますか?
道路や建物をつくり、生活インフラを支える「社会貢献度の高い仕事」というプラスのイメージがある一方で、昔から「3K(キツイ、汚い、危険)」産業といわれてきたように、ハードな仕事の印象が根強いためか、若い世代の担い手が減り続けています。現状のままでは、人材不足による労働生産性の低下や、次世代への技術継承も大きな課題となっています。
さまざまな課題に直面している建設業界。でも、地元下田に目を向けてみると、同じように人材不足に悩みながらも、若い世代がやりがいや将来性を感じながら安心して働ける環境を整え、地域に貢献する仕事の魅力を行動で示し続けている会社があります。今年で創業110年を迎える「河津建設」さんです。
河津建設さんは、地域貢献活動も積極的に行っていて、下田の海にワインを沈めて熟成させる「下田海底セラーワイン」も2017年から毎年行っています。また、地域のお祭りや行事に協力したり、まちの美化活動を行うなど、建設会社の枠を越えたさまざまな取り組みを継続しています。
どのような思いで、地域活性化に携わっているのでしょうか。
都市部でも若手の人材確保に苦戦する業界にあって、河津建設さんは、むしろ「伊豆」を舞台に活躍できる誇りを、この地域の若い世代に伝えようとしているかのように感じます。

「まちをつくる。まもる。元気をつくる」
これからの時代の地方の建設業のありかた、取り組みについて、常務取締役として現場に、人材育成にと奔走する河津元〈げん〉さん(現在3代目社長河津市元〈いちもと〉さんの次男)にお話しを伺いました。

建築、土木、港湾。3本柱で伊豆を支える


――大正3年創業、今年で110周年と伺いました。そんなに歴史ある会社が下田にあることにまず驚いたのですが、河津家はどのようなきっかけで建設業を始められたのか。今に至るまでの沿革を教えてください。

私の曾祖父にあたる河津市次郎が材木商を始めたのが創業のきっかけです。天城の山中から材木を切り出して販売する。材木を売るためには、加工するための建物、運ぶための道路が必要ということで、そこから建設業に発展しました。大正10(1921)年には本格的に建築・土木業に進出し、屋号を「河津木材舗」から「河津組」に改めた。さらに昭和50(1975)年に「河津建設」と新生、現在に至っています。

材木商時代の記録。中央の方が創業者の河津市次郎さん(写真提供・河津建設)

事業の柱は、大きく分けて「建築」「土木」「港湾」の3つです。建築だけ、土木だけ、港湾だけと独立して担う企業が多いのですが、自分たちは総合的に関わることができるのが強み。それぞれの分野のプロフェッショナルが在籍しているので、技術や経験を横断的に相談し合い、課題の解決に結びつけています。

——建築、土木、港湾、それぞれどんな事業を手がけられているか教えていただけますか。建設のお仕事ってなんとなくのイメージはあっても具体的なこととなると「?」となってしまう方もいらっしゃるかと思います。改めてぜひ。

そうですよね。建物や道路をつくるイメージはみなさんあると思うのですが、もっと幅広い事業を手がけていることはご存知ないかもしれませんね。

建築部門では、一般の住宅から企業の社屋や店舗、公共の建物まで幅広く手がけています。みなさんの身近なところでは、下田市民文化会館や静岡県下田総合庁舎、静岡県立下田高等学校、下田市立認定こども園などがあります。

土木は、まちづくりの土台ともいえる部門で、道路、河川、上下水道、ダムなどのインフラ整備に加えて、山を守る工事として、治山工事や林道整備なども重要な事業となっています。現在進行形の事業では、伊豆縦貫自動車道工事が大きいですね。

現在進行中の伊豆縦貫道工事(写真提供・河津建設)

近年は自然災害が頻発していることから、国は災害に強い国づくりを目指す取り組みとして、「国土強靱化」というプロジェクトを推進しています。そのため老朽化したインフラを補修したり、橋の耐震強化などの工事が増えています。新しくつくるというより、今あるものをより粘り強くして被害を防げるように増強する工事。そういう意味でも、海の安全をつくる「港湾」事業はますます重要になってきていますね。


——「港湾」という分野がいちばんイメージできませんでした。無知ですみません……。でも、下田は外洋に囲まれていて、大雨や台風、地震が起きたときの高潮や津波がつねに心配されている場所ですから、そうした災害から守るための工事がいかに大事かはなんとなくわかります。

おっしゃるとおり、海に囲まれた伊豆半島ですが、賀茂地区で港湾事業を行う建設会社は少ないので自分たちが果たす役割は大きく使命感をもって取り組んでいます。海にはいろいろな「守る」要素があって、災害からまちを守るための防波堤や防潮堤などの工事のほか、海の安全を守るための灯台の設置、船を守るための「浚渫〈しゅんせつ〉」工事も担っています。浚渫というのは、河川や港湾の水底に土砂が貯まって水深が浅くなってしまうと船が安全に通れなくなってしまうため、船を使ってそれらをすくい取る工事のことです。

こうした工事には専用の船が必要なのですが、自社船を持っていることも僕らの強みですね。現在9隻所有していて、東日本大震災の際には自社船を派遣して、海の中に堆積した瓦礫などを撤去するなどの復興支援を行いました。

東日本大震災時に自社船で復興支援(写真提供・河津建設)

——伊豆を飛び出して東北で復興支援活動まで!お仕事の内容をうかがっていると「人びとの安全を守る仕事」という印象を強く持ちました。とてもやりがいのあるお仕事だと思うのですが、そもそも元さんご自身はどうして建設業へ? やはり家業を継ぐ思いから?

ふるさとのために建設の仕事で貢献したい


もともとは家業を継ぐなんてあまり深く考えてなかったんですよ。ただ、親が建設会社を経営していたことの影響はあると思います。大学で土木を学び、大学院に進んで修士を得る過程で、日本の国土を形づくるようなビッグプロジェクトに携わりたいという思いが強くなり、鹿島建設に入社しました。鹿島の拠点は国内だけでなく世界各地にあるのですが、自分は東京本社に配属となり、都会のインフラを整備する仕事に従事してきました。地下駐車場をつくったり、東京メトロの駅を改良したり、首都高速の路線を増やす工事をしたり。夜勤が多くて毎日ヘトヘトになるまで働いていたけれど、希望する業務に携わることができて充実していました。

なので、父から戻ってこないか? と言われたときには、正直めちゃめちゃ悩みました。鹿島で7年。大きな仕事に携われるようになっていたし、尊敬できる上司や仲間がたくさんいた。それでも、最終的には下田に戻ることを選びました。

もともと下田が好きだったんです。子どもの頃からサーフィンに夢中で、学生時代も休みのたびに帰ってきては海に入ってました。下田の海って、抜群にキレイじゃないですか。沖縄にも負けないくらい。離れてみて、地元の魅力に気づいたり。だから、これからは大好きな下田のために、自分が学んできた建設や土木のスキルで貢献したいって思ったんです。どんな仕事もそうだと思うのですが、自分が何の思い入れもない土地でやるのと、好きな場所でやるのとでは全然モチベーションが違いますよね。

いまでも休日や出勤前など時間があれば海に行くという元さん。いい笑顔!


最初は父のひと言がきっかけでしたが、自分の仕事でふるさとのために役立てるのだったらなによりだなと。

——河津建設さんは従業員90人以上の、賀茂地区では規模の大きな会社です。しかも110年もの歴史がある。普通だったら家業の担い手として加わることを考えてしまいそうですが、元さんは違いました。土木でナンバーワンの企業に入り、そこで国を支えるような大きな事業に携わりたいという夢を実現。約7年の東京での経験がご自身の視野を広げ、逆に地方の建設会社が担うべき役割について考える土台を育んだのかもしれません。

ありがとうございます。地方の建設業が担う役割とは何か。そう考えたときに自分は大きく3つあるかなと思っています。

1つめは、「地域のクリエーター」。まちに新しいものをつくる。道路、学校、病院、公共施設などの仕事。2つめは「地域のドクター」。いまあるインフラを点検したりメンテナンスしたり、補修補強したりすることで寿命を延ばす仕事。そして3つめは、「地域を守る防災防衛隊」です。災害が起きたときに、すぐに駆けつけて瓦礫を撤去したり、被害を最小限にするための防災対策。

自分たちの使命はこの3つに集約されると考えています。

やりがいのある仕事ではあるのですが、高卒の新卒で入社して一人前になるまでには10年くらいかかります。特に現場の仕事は、自然が相手の仕事なので経験によるところが大きくて。専門職の国家資格も必要で、それを取得するのに最低でも7年はかかる。現場監督など、建設現場の責任ある仕事を任せられるようになるにはそこからさらに数年を要します。

——建設業は人の安全をつくるお仕事ですし、働く側も危険と隣り合わせなのですから10年かけて経験を積み、知識を蓄えるというのは必要な年数なのでしょうね。とはいえ、長い下積みの間、途中で挫折して辞めてしまう人もいそうです。人材育成の面で、工夫されていることがあれば教えてください。

伊豆はそもそも若い世代の人口が都市部に比べて圧倒的に少ないので、人材確保についてはつねに課題だと思っています。ただ、若手の離職率は低いほうだと思います。よく3年以内に辞める人は3割といわれますが、うちはそこまでではない。もちろん、採用数が違いますから単純比較はできませんが、家業を継ぐとか、やむを得ず辞めなければいけない事情を除けば、うちでキャリアを積み、第一線で活躍するまでに成長するケースが主流です。

人材育成の面でいちばん大事なのは、「ひとりぼっちにさせないこと」だと思っています。32歳で河津建設に入った当時、横のつながりが少ないなと感じました。東京時代は同期がたくさんいて、何かあったときにはすぐに相談できる環境だったんですね。研修制度も充実していて、勉強する機会にも恵まれていました。お互いに切磋琢磨できて、それが自分の成長にも精神的安定にもつながっていたと思います。うちの若い人たちにもそういう機会を設けたいと思って、年に4回ですが、35歳以下の社員に声をかけて若手勉強会を開いています。懇親会も行っていて、実際の業務となるとそれぞれの任務があるので別々の持ち場ですが、何かあったときにみなで学び合ったり、相談ができる場があるというのが大事かなと。

若手勉強会の様子(写真提供・河津建設)

——「若手勉強会」ってなんだかいい響きです。自分もそうでしたが、社会人になって間もない頃、いろいろ不慣れで覚えることも多く、よく悩んでいたことを思い出します。そういうときに相談できる先輩や仲間がいて、一緒に学び合えるチームがあるって、きっと心強い。お互いに切磋琢磨して、高め合える関係性。そういう場を設けることができているのも、元さんが東京で優秀なチームのなかで経験を積まれたおかげなのでしょう。

それから河津建設さんが突出していると感じたのは、さまざまな地域貢献活動です。まちの美化活動、黒船祭など地域のイベントへの参加・協力、下田海底セラーワイン事業、それに寄付。河津建設さんのホームページを拝見すると、「地域貢献」のカテゴリーがあり、たくさんの活動報告が上がっていて驚きました。地域貢献活動についてはどのような思いで取り組まれているのでしょうか。

弊社の社是の第一項目に「産業貢献」とあります。これは「地域貢献」でもあって、私たちがいちばん大切にしている理念です。建設業は公共の仕事が中心であって、みなさまの税金で行っている仕事です。だから自分たちが儲かることより、地域と共存共栄することが大事。「わが社業の繁栄は社会の繁栄とともにある」とはそういう意味です。自分自身、仕事を通して人の役に立てるのは幸せだなと感じますし、会社の事業を永続していくためには、自分のためというよりお客さまのため、地域のためという意識が最上位にあるべきだと考えています。会社としていろいろな社会貢献活動を行っている根っこには、「地域貢献」を第一に考えているからです。

社是はオフィスに掲げられていて、若手勉強会のときはみんなで読み合わせをしています。この志に共感できるチームは強いですよね。

河津建設さんの社是。ホームページにも掲載があります

下田を元気にしたい!さまざまな地域貢献活動


——素晴らしい社是ですね。「産業貢献」「感謝報恩」「誠実公正」「全力精勤」「創造改善」「親和協調」「礼節謙譲」「労働安全」。どれも仕事をするうえで大切な姿勢、心がけです。みなさんで読み合わせをするというのも大事な習慣ですね。自分たちの原点に立ち返るところから仕事が始まるという。河津建設さんの地域貢献活動のなかでいちばん大きなものに「下田海底セラーワイン」があります。こちらはどんなきっかけ、思いから始まった事業なのですか?

下田のいちばんの魅力は海で、基幹産業は観光です。でも、数年前から観光客が減ってきていて、コロナ禍で激減してしまいました。まちの活気が失われていくのを黙って見ているだけではいけない。建設業である自分たちに地域のために貢献できることはないか。そう模索してたところ、沈没船から発掘されたワインがおいしかったというような内容のニュースを社長が見て、自分たちには自社船があるし、ものを海底に沈めるノウハウもあるのだからとやってみてはどうかと提案してくれたのがきっかけです。

下田の海の美しさとロマンを感じる下田海底セラーワイン

下田のキレイな海で、建設の技術を活用して、下田のお酒(黎明)や伊豆のワインを伊豆の海に沈めて貯蔵する。そして、訪れた方々に伊豆のおいしいものと海で貯蔵したお酒を楽しんでもらえたら人が増えるんじゃないか。そんな発想でした。

最初は2017年。自分は実行部隊として市内の飲食店さんやホテルなどに事業の内容を説明して回り、賛同してくださったみなさんから最初は40本お預かりして約6カ月、下田港内に沈めました。年々賛同者が増え、昨年は1100本、応募頂いた方のワインや日本酒などを沈めました。引き揚げは今年の4月から5月頃を予定しています。

田湾内、水深20メートルの海底に沈められたワインなど。海底での1カ月は地上の1年ともいわれており、約半年の貯蔵でどんなふうに味が変化するかいまから楽しみです(写真提供・河津建設)

黒船祭などのイベント時に試飲会を開催したり、黒船祭の前夜祭の乾杯酒として採用していただいたり、おかげさまでようやく地域の方々に認知してもらえるようになり、嬉しいですね。

2023年の黒船祭で行った無料の下田海底セラーワイン試飲会(写真提供・河津建設)


――下田海底セラーワイン。着実に、下田の観光資源として定着していっている実感がありますね!私も飲ませていただきましたが、赤ワインの変化がいちばんわかりやすかった気がします。軽めの味わいだったものが、何年も貯蔵されたワインのように複雑味が出ていて、まろやかさも感じました。味わいの変化について、何か科学的なことは実証されているのでしょうか?

メカニズムについて明確には解明されていないようです。潮の満ち引きや波のゆらぎ、海流、圧力や重力など海がもっている特性がワインに作用し、熟成を促進させるといわれています。特に「ゆらぎ」がもたらす効果を唱える人が多いですね。日光が届かず、一定の水温が保たれることもよいとされています。

でも、個人的には科学的な根拠も大事かもしれませんが、下田のキレイな海に沈めて、海の不思議な力を受けたワインを飲むって、ロマンがあるじゃないですか。海から引き揚げると、瓶に海中の付着物がついているんですよね。そういうのも含めて、海のロマンを感じてもらえるかなと思っています。

——ほかにも地域貢献として、コロナ禍で下田市、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、河津町、東伊豆町に合計1000万円の寄付をされたことにも驚きました。

これも下田がピンチのときに自分たちにできることをしようと考えたことです。幸いにして、我々建設業はコロナの影響をあまり受けませんでした。でも観光業で成り立っている伊豆の各地域はひどく疲弊していた。飲食店とか宿泊業とか、本当にあのときはみんなしんどそうで。地元の助けになりたい。その一心。感染症対策とか経済支援に役立ててほしいとの寄付でした。

創業110周年の今年、サーフィン部をつくります!


——その心意気が本当に素晴らしいです。なかなかできることではありません。さらに今年の創業110周年にあわせて、またなにか計画がおありだとうかがいました。次々とワクワクするような事業を展開されている河津建設さんの創業110周年事業、ぜひ聞かせてください!

ひとつは、下田のまちを元気にしたい!との思いから、最近開業したばかりの飲食店さんを応援しようという試みです。2021年から2023年の間にオープンした飲食店1〜3店舗を対象に、創業110周年にかけて、1店舗に対して110万円の売上げ支援をしようというものです。下田の旧町内はどんどんシャッター通りになってしまっていて、更地が増えたり、新しいお店ができても続かなかったりで、さみしいまちなかになってしまっています。自分たちが創業110年を迎えられたのは、地域のおかげ。地元に支えてもらって今があります。恩返しの気持ちでスタートアップ店舗を支援しようと考えました。

ベテランは若手を育てるじゃないですか。それと同じで、老舗企業である自分たちが新しい会社や事業者を応援、育てていこうという気持ちですね。コロナ禍では行政への寄付でしたが、今回は一回限りではなく、継続的に支援するしくみをつくろうと。クーポン券をつくって会社で購入して関連会社に店舗を利用してもらうとか、やり方は検討中ですが、ただお金を渡すのではなく、お店のファンを増やしたり、認知を広めるためのサポートをやっていきたいですね。

もう一つは、自分が旗振り役なんですが、社内にサーフィン部をつくります!

お話ししたとおり、子どもの頃からサーフィンが大好きで、いまでも休日や出勤前に波乗りを楽しんでいるんですが、2年前に待望だったサーフィン部が下田中学校にできたんですよね。下田はサーフィンのメッカで、プロサーファーを何人も輩出しています。地元の企業がサーフィン部をつくることで、さらにサーフィン文化が下田に根づいてくれるといいなと思います。高校にはまだありませんが、中学から高校、社会人とつながっていけば、サーフィンが盛んなまちとして、下田のイメージアップにもつながるのではないでしょうか。

いま、自分も含めて社内にサーフィンしている人間が9人います。入田浜に会社の施設があるので、そこを活用して出勤前に海に入ったり、仕事が終わってから波乗りをしたり。それができる環境が下田にはあるのだから、最大限に活かしたいですよね。会社にサーフィン部ができたら、サーフィン好きの若い人が地元だけでなくほかの地域から入ってきてくれるかもしれないし、いまの社員の満足度を高めることにもつながるかもしれない。いろいろな波及効果を期待しています。

サーフィンを楽しむ河津建設社員のみなさん

――下田中学のサーフィン部に入りたくて移住してくる子がいるらしいですよ。将来、下田からオリンピック選手が出るかもしれませんね!

下中サーフィン部の部室は、弊社がもっている入田寮の空き室を使ってもらってるんですよ。夏はライフセーバーのみなさんにも提供していて、そういう部分でも地元に貢献できて嬉しいですね。
本当に!下田からゴールドメダリストが誕生したら最高ですよね!そうなると下田がワールドクラスのビーチになる。うちがサーフィン部をつくることで、ほかの下田の事業者さんがサーフィン部をつくったりしたらまた盛り上がりますね。「下田には会社でサーフィン部もっているところがあるらしいよ」と。

河津建設のサーフィン部が起爆剤となって、建設業のイメージが変わればいいなという思いもあります。まだまだ3Kに代表されるネガティブなイメージを払拭できずにいます。若い人の採用も苦戦しています。現在、採用は毎年2人程度です。技術者をもっと欲しいのですが、エントリーが少ない。サーフィン部や若手勉強会など、若い人がいきいきと活躍できる環境づくりを積極的にしていかなければ。

2024年、河津建設は次なるステップへ


——今日、お話しをうかがって、建設業に対する印象が大きく変わりました。ハードなお仕事で、組織も昔ながらの古い体質が残っている業界というイメージだったのですが、実践されていることはめちゃめちゃソフト。大きな組織のなかに、新しい建設業のあり方を模索する小さな社内ベンチャーがあるみたいな。実際、従来の慣習にとらわれない、自由で大胆な活動をされていると感じました。

ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。われわれ建設の人間は、情報発信が苦手なんですよね。苦手というか、本来裏方の仕事なので、黒子に徹するのがカッコイイという感じでずっとやってきたところがあるんですよね(苦笑)。

でも、これからは積極的に広報に努めていきたい。この地域の子どもたちは地元が好きだけど、やりたい仕事がないのが現状。自分もそうでしたが、一度下田の外にでるのはいい経験になると思う。だけど、地元にやりたい仕事がなければ出ていったきりになってしまう。下田に河津建設があることで、若者が将来は建設の仕事がしたいと思ってもらえるようになるのが目標ですね。憧れるというか、カッコイイ仕事だと思ってもらえる業界でありたい。そのための広報活動の一環として、毎年11月18日を「土木の日」として、一般の人に土木の理解を深めていただく機会をつくっています(注・社団法人土木学会による制定)。主役は子どもたちで、建設重機の操縦体験や、働く船の乗船体験など。昨年は1000人以上来ていただき大盛況でした。

——小さい頃の体験はものすごく大きいはずなので、こうしたイベントに参加することで建設のお仕事に興味をもってもらえるといいですね。

地道な種蒔き活動をこれからも続けていきます!
一方で社内改革も進めています。建設業は長らく週休1日制が当たり前でした。建設工事は土曜日も行うのが一般的で、工期も土曜日に稼働する前提で組まれることがほとんどです。しかし社会一般では週休2日が浸透しています。建設業界も遅ればせながら週休2日制を導入しようと動いています。弊社も今年度から完全週休2日制に変えます。さらに、働き盛り子育て世代を応援しようと家族手当を、子ども1人あたり1万円に見直しました。

休みが増えると、そのぶん作業効率、生産性を上げなければなりません。そのための対策として、まず無駄な仕事はやめようと、この業務は本当に必要なのかどうかさまざまな場面において見直しています。それからITの活用。デジタル化。現場の機器をグレードアップするなどで生産性を上げたり省力化を図っています。最新のAIやchatGTPも取り入れたところです。全社員にスマホとタブレットを支給し、会議や図面などはこれらを活用して非対面でも行えるように。まだまだ発展途上ではありますが、こうした社内改革を模索しながら、これからの時代に即した建設会社をつくっていきたいですね。

みんなで創業150年を迎えたいと語ってくれた元さん。これからの活動がますます楽しみです

伊豆を舞台に、まちをつくり、まもり、元気にする活動を創業以来100年以上も続けてこられた河津建設さん。「工事をするのが建設の仕事」という認識でしたが、元さんのお話しを聞かせていただき、「建設とはまちづくりそのもの」なのだという思いを新たにしました。
下田の基幹産業である観光業を盛り上げようと、建設の技術と自社の資源を活かして下田海底セラーワインプロジェクトに取り組まれたり、業界のマイナスイメージを払拭し、下田だからできることと、社内にサーフィン部を立ち上げられたり。地方の建設会社の枠にとらわれない素敵なローカル活動で下田を元気に盛り上げています。
今年は創業110年。建設現場の作業効率改善や、若手の研鑽の場づくりなど、河津建設さんの新たな挑戦はすでに始まっています。取材を終えて、下田にこんなに郷土愛あふれる会社があることを心から嬉しいと感じました。
志ある若い人が、我こそは!と建設業の門をたたく日はきっとすぐそこ。そんな希望を感じた取材でもありました。


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